シュワブ2等兵の親戚が名前に由来する基地を訪ねる
【キャンプ・シュワブ】 第1海兵師団、第5海兵隊、第1大隊が沖縄の海岸に上陸してから約65年が経ち、結果として起きた血みどろの戦いでは、通常の若者は差し迫る危険に直面して英雄となったように思われる。
その中には仲間の海兵隊員に前進する機会を与えるために単独で2つの機関銃の砲床を破壊した火災放射器オペレーターで、24歳のアルベルト・E・シュワブ 2等兵がいた。二度目の砲床を包囲する過程でシュワブ2等兵は敵の砲撃による致命傷を負い、彼の勇敢な行為を称え、彼の死後名誉勲章が授与された。
今年の戦没者追悼記念日には、オクラホマ州タルサからシュワブ1等兵の甥と姪が彼の名前に由来する基地、キャンプ・シュワブを初めて訪問した。
「ここに来るのは私たちの長年の夢で、やっと来れて圧倒して、謙虚な気持ち」だとシュワブ2等兵の甥の一人、ジェフ・カールソンは話した。
3人の兄弟は、叔父の英雄行為について幼年時代に話を聞いて過ごしたとシュワブ2等兵の姪、ジェニー・ブラディーは語り、「私たちの家族にとって英雄であるということを知るのは常に大切なことだった」と話した。
この兄弟の両親は戦争についてあまり話さなかったとシュワブ2等兵のもう一人の甥、ジム・カールソンは言及し、「でも私たちが聞いた話は、私たちの叔父についてであり、私たちの中に尊敬する気持ちを植えつけた」と説明した。
「母の兄(シュワブ2等兵)が戦争に行った時、母は14歳で兄に憧れを抱き、母の目に叔父は正しい人だった」とジェフは話した。昨年、タルサにある叔父の墓前で行われた花輪献呈式で、第3海兵遠征軍、第3海兵師団、第三偵察大隊の元海兵隊3等軍曹ウイリアム・エドワーズと会った。以前、キャンプ・シュワブに駐留していたエドワーズ元3等軍曹はオクラホマにある予備役部隊の訓練をしていて、この3人の沖縄行きの旅の企画や交通手段の手配を手伝った。
「叔父を追悼するために、ここに彼らを連れてくるのは正しいことだった」と、この兄弟と共に沖縄に来たバージニア州フレデリックスバーグ出身のエドワーズ元3等軍曹は述べた。
三人の兄弟はシュワブ・フェストで週末を過ごし、基地内を見学し、そして海兵隊の生活様式を理解し、これは生涯の思い出となる旅だったとジェフは話し、自分たちの叔父が未だに記憶に留められ、海兵隊員らに尊敬されていると分かって良かったと付け加えた。
「叔父(シュワブ2等兵)は宝であり、その思い出は生き続けなければならない」とブラディーは話し、「彼の家族の一員でいることを非常に誇りに思っている」と語った。
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