最後の戦場で沖縄戦を追悼




【沖縄県糸満市】 6月23日に糸満市で開催された「2010年沖縄全戦没者追悼式」に出席するため に、糸満市の平和記念公園には5,000名以上が集い、粛々とした、もの悲しい雰囲気が漂っていた。この式典は、第2次世界大戦の激戦地の1つだった沖縄戦終結65周年を象徴した。

平和記念公園は沖縄県本島南部にある沖縄戦終 焉地として記録され、戦争で尊い命を落とした20万人以上の日本人、アメリカ人、韓国人、台湾人、英国軍人、そして民間人を追悼するためのもの。

戦没者の弔問に訪れる人たちは、戦時中に尊い 犠牲を払った24万931名の名前が刻印された平和の礎に花や千羽鶴、食べ物や飲料水を捧げた。菅直人首相も参列した大規模な追悼式には、慰霊の日の演説、平和宣言、戦没者を追悼した献花、平和の詩の朗読、追悼メッセージなどが含まれた。

その日の早朝には、戦没した米軍人を認識するためにアメリカ人の名前が刻印された平和の礎近くで小規模の追悼式が行なわれた。

米軍人たちに囲まれて、第2次世界大戦の退役軍人や民間人、レイモンド・グリーン在沖米総領事、第3海兵遠征軍兼在日海兵基地司令官のテリー・ロブリング 中将が、小規模の追悼式の後、戦没した米軍人の代理として話をした。

「これらの勇敢な勇士たちがすべてを賭けた勇気と献身のお陰で、全てのアメリカ人が穏やかに眠れるんだ」とロブリング中将は語り、「彼らの犠牲のお陰で、 私たちは日本との平和な将来を待ち望むことができる」と話した。

この卑劣な戦闘中に米軍の通訳を務めた88歳のテルト・“テリー”・ツボタ氏は、追悼式は複雑な気持ちでいっぱいだったと話した。

ツボタ氏は、ハワイ州パホア出身で、1945 年に第6海兵師団の戦闘通訳に選任された。地元の英雄として称賛され、アメリカ人に遭遇しても危害を与えられることはないと確信させて、一発も発砲することなく、何千人もの沖縄の人たちの命を救っ たことで評価された。

「毎年、この追悼式に参加することで、多くの事を感じさせられる」と1995年に開催されて以来、一度以外ずっとキヨコ婦人と共に追悼式に参列してきたツ ボタ氏は語った。

「非常に多くの人が命を落としたことは悲しいが、一緒に集って追悼できて嬉しい」とツボタ氏は言及した。沖縄ユナイテッド・サービス組織の主任で、小規模のアメリカの追悼式をコーディネートしたジャレット・オオタ氏は、追悼式事態はあらゆる面で戦士たちに敬 意を払うことで、平和を回復するために非常に効果があると語った。

「これは国際的な追悼式で、命を落とした全ての国々の人たちの名前が、ここには象徴されていて、各人が尊い犠牲を払ったことに対する証であり、身が引き締 まる思いであると同時に感動的である」とオオタ氏は述べた。

偶然にも、今年の追悼式は日本と米国の安全保障の最初の基礎をもたらす日米安全保障条約50周年と重なった。

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