伊江島でアーニー・パイルを思い起こす
【沖縄県伊江島】 海兵隊員、退役軍人、そして伊江島村長を含む特別ゲストたちが、1945年に沖縄にある小さな島、伊江島で亡くなったアーニー・パイルの戦没65周年を追悼して、この島に集った。アーニー・パイルは、アメリカ全土に知れ渡っている従軍記者で、アフリカやヨーロッパ、太平洋での第2次世界大戦の戦闘を報道した。
「アーニー・パイルは、まさに素晴らしい人だった。彼は世界中を旅して、兵士の話を世界中に伝えた。彼のような人物のためにここに来て追悼するは相応しいこと」だと在沖米国在郷軍人会第28地方支部のドナルド・B・アレン地方支部長は語り、「彼は軍人ではなかったが戦闘中に命を落とした。なので私たちが引き続き、彼が米軍人のために行なったことの全てを記憶に留めることは適切なこと」だと話した。これは伊江島で執り行われたパイルの戦没65周年の追悼式だった。
パイルは普通の部隊同行記者とは違い、自分が所属する戦闘部隊の一員となっていたと在沖米国在郷軍人会、及びフィリピン支部代表で、退役海兵隊先任上級曹長のポール・ザッカーオフ氏は言及した。
「彼は歩兵隊の仲間だった。歩兵が戦っている時はすぐそばにいて、塹壕の中でも近くにいて、同じジープにも乗った」とザッカーオフ氏は話した。彼はパイルの文章のことも覚えている。「私の父は決して当時のことを語ることがなかったので、パイルの文章がなければ戦時中に父が行なった事を知る余地が全くなかった」と語った。
戦時中の悪いことだけを報道した訳ではないので、パイルはジャーナリストの中で独特だったとアレン氏は説明し、ありのまま起こった事を告げていたと話した。良いことや悪いこと、平常のことについて書き、戦っている軍隊の視点を通して表現していたと説明した。沖縄戦はパイルの最後の戦いだった。彼は第77歩兵師団と共に伊江島に上陸し、その2日後の戦闘中に日本軍による機関銃掃射で射殺された。
「彼が民間人であり、戦争で命を落としたという事実に、心を打たれた」と第3海兵遠征軍(IIIMEF)第1海兵航空団(1st MAW)第17海兵航空支援郡(MWSG-17)第172海兵航空支援飛行(MWSS-172)遠征飛行場システム技術者のソウル・C・アヴァロス上等兵は言及し、「心に留めて置くのは、軍人だけと言う訳ではない」と伊江島の追悼式に参列した彼は話した。戦時中のパイルの犠牲を追悼し、彼が射殺された現場には記念碑が建てられている。
http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/














